「懺悔せんと欲せば、端坐して実相を観ぜよ。衆罪は霜露の如く能く消除す」と観普賢菩薩行法経にあります。
懺悔とは、罪を洗い浄めるという意味です。私は朝にかたき誓いをし、夕は神仏の愛と守護の霊に包まれながら、知らずに犯せし罪、知りながらどうにもならぬ煩悩を起こせし罪を霊にお詫びします。
欲望は、仏教的に言えば、煩悩でありましょうが、しかし人間の心の中に蒔かれた欲望という種は、先祖の悪い癖を捨て、それを正しい場所に蒔き、愛念を持って育てるなら、善の実を結ぶのであります。たとえば、心霊の不可思議の力を得る為に、欲望を増し、暇を惜しんで統一し、霊能を磨き、心霊治療に貢献するという欲望なら、煩悩即菩提であります。それに反して、人を恨み、憎み、落とし入れる方向へ種子を蒔いたら、それは渇欲となって自分自身は勿論、人の魂をも傷つける事になります。
愛情が正しい方向に注がれないで、誤った方向に注がれる時、それは争いと闘いとの因になり、生きながら地獄に落ちている事になります。
人は世に一人たりとも嫌いな人を造ってはなりません。私は、私の知る限りの人を皆愛し、その人の幸いを念じています。従って、私は私を嫌う人が一人たりともこの世にいない事を信じています。皆様も手を取り合い、心霊家らしく心身ともに人の模範となるにふさわしい人になりましょう。
(上巻352頁、昭和50年、Copyright © 2004 公益財団法人日本心霊科学協会